見えないモノを見ろ

 

昔、

自分が尊敬してやまないある方から

お叱りを受けたことがありました。

 

その方を浪江町に連れて行った際の出来事です。

 

自分でこんなことをいうのもなんなんですが、

 

 

基本的に僕が浪江のことについて話すとき、

もしくは、

浪江に人を連れていき案内すると時

 

基本的に

褒められますw

 

正直

褒められる状況が

当たり前だとも、思っていたかもしれません。

 

 

しかし、

その方を浪江に連れて行ったとき

 

「なんでここには、こんなに綺麗な服な人がいるんだ。この人たちは自分たちの生まれ故郷がけがされてるのに、なんでこんなに悠々自適にすごしてるんだ」

 

地元浪江町は、

原発事故の避難地域だから

東京から来たその人は

 

 

当時まだ町のインフラが整ってないその町を見て、

 

作業車(トラック)がたくさん走っている状況を見て

 

ここは基本的なインフラを整える作業員がたくさんいるはずなのに

 

なんでここの商店街にはそんな景色が見れないのか

 

 

そのことを疑問に思ったそうです。

 

でも、

当時、怒られた時の僕の心の中は

 

「えええええええええええええええええええええ」

「俺が悪いわけでもなくないそれ????www」

 

もう心の中で

どれだけ理不尽と思ったことか

 

でも裏を返せば、

始めてきたまちにも関わらず

浪江に対する熱い思いを抱いてくれたからこその

愛の無知だったと思っています

 

怒るという行為は

決して楽なことではありません。

 

怒るにもエネルギーが必要です。

 

わざわざ自分のエネルギーを使って

普通に過ごしていれば

当たり前になってしまう

そんな景色に

その人は新たな気づきを自分に与えてくれました。

 

でも、

綺麗な服を着て生活する人たちも、

自分たちの町を取り戻すには

今、町のインフラを 整えなきゃいけないのがわかっていながら

 

どうしても

自分の生活が

自分の家が

 

そんな風に思うし、

 

ましてや、

原発事故の被災者という認識のある僕たちは

自分たちの資金を

町のためにつぎ込むなんてことは

普通ではかんがえられないことだったと

今でもい思います。

 

けど、

そこで身銭を切って

町のために活動していくことが出来るか

 

自分たちのまちが好きで

本当にもとの町を取り戻したいなら、

 

誰もやらなうようなことに挑戦していかなくてはいけない

 

 

そんな愛のあるメッセージだったのだと、

今は感じています。

 

 

もちろん

自分はこの町をどうにかしたと思い

行動しようとしているからこそで

 

なにもしなければ、

まずその方が浪江に来てくれることも

浪江自体を考えてくれることもなかったし

 

 

けど、反対に褒められたこともあって、

 

偶然なんですが

自分の親父とはちあわせた時

 

その方は、

建設業を営む作業着の親父をみて

 

 

「幸輝の親父は本当にいい親父だな」

 

「今この町でやらなきゃいけないことをやっているのは、幸輝の親父みたいな人たちだよ。」

 

 

そんな言葉が

どれだけ嬉しいか

 

やっぱり自分の親父は最高だ

 

そんな風に思えたのも覚えています。

 

 

そして

自分が今やらなくてはいけないことも

その時になんとなくわかることもできた

 

 

当時

1年半前は

「町のインフラを整備して、人が住めるようにすることが重要なんだ」と。

 

 

けど、

あれから時がたった今は

町のインフラは整ってきた

 

 

ここからがやっと俺の出番。

町の

人と人との

内部と外部のつながりをつくっていく

若者をたくさん連れてくる

 

もちろん、

町の産業をつくっていくこともするし

 

 

最後のゴールはもちろん

「若者が働きたい福島をつくる」

 

 

決して簡単には見えないけど、

 

その町の本質を見ること。

 

当たり前のことを疑って、

 

今の高まる気持ちを落ち着けて

 

本当にしないといけないことを考えること。

 

間違った道に進んだ際は

 

みなさん叱ってください。笑