気を使いすぎるところ

 

ある人と話していて言われました。

今日はそのうち1つ書きます。

 

幸輝君は気を使いすぎるよね笑

もっと自由でいいじゃん

 

 

自分は人と何かをするとき、いつも考えてしまうのが基本的相手のことです。

 

 

この人は自分と楽しい時間を過ごしてくれたのか。

 

 

貴重な時間をさいてくれて、何か身になることが話せたのか。

 

 

そんなふうに考えてしまいます。

 

飲食、ホテルの仕事でもそうで、基本的にお客様は正直なことを言ってくれません。

表情、行動、言葉で楽しんでいるかを判断しなければいけないです。

だからこそ、その一挙一動が気になってしまいます。

 

昨日の投稿の続きみたいなものなのですが、自分の気持ちを素直に、正直に話せないところって、相手のことを考えすぎて、かつ相手を最大限に楽しませようとし、それが自分の中ではこれを話さないことだ、みたいになるからなんじゃないかな、と自分の中でその時腑に落ちました。

(昨日の記事http://happyshine.hatenablog.com/entry/2019/01/23/112135

 

でも、相手が楽しい瞬間ってどんな時???

 

そんな風に考えると、それはすごく気を使うことではないのかもしれません。

 

いや、もちろん少しは必要ですよ。

 

けど、それ以上に、

自分が楽しむことが、

相手も楽しんでくれることへの

一番の近道なのかもしれない。

 

もちろん、独りよがりの楽しいではなくて。

 

 

また、もう一つ言われました。

これは自分のくせです。

 

あの人があんな風に言ってた。

 

これって、自分の意思がないですよね。

言葉に。

 

でも、客観的に言うとこれって情報量を明らかにたくさん持ってないと言えないセリフでもあって、

 

また接客の時でも、営業の時でも、商品を説明するときには、自分じゃない人の情報、第二次情報が大事になります。

 

けどそれ以上に、相手が求めているもの。

いや、これは自分が求めてることかもしれません。

 

それは、

じゃーあなたはどう思うの?この商品?

 

って言う、自分の情報。

それは自分が手に入れた、自分だけの第一次情報。

それこそが本当に価値がある。

 

今の世の中、第一次情報は、世の中の発展により普遍的になりつつあると感じます。

だって、俺が言うことなんて、誰かの受け売りだし、この情報もネットに載ってるし。

 

けど、その中でもどれだけ、自分の気持ちを込めて、その情報を自分が伝えることができるのか。

 

そこに価値が生まれるのではないのか。

 

そこが自分に足りない一番のところだな

 

そんな風に感じます。

 

あの人が話す情報と、自分が話す情報。

 

それは違う価値があるんだろうな。

 

 

だから無理に変に、相手にこの情報は必要なのか、と考える必要はないんだろうな。

 

 

で、結局ここで行きつくんだよ。

 

 

「お前はなにしてーの」

 

「俺はなにしてーの、どーしてーの」

 

 

 

「若者が働きたい福島をつくる」