表裏一体?紙一重?

良いところは「人がいいところ」

けど、悪いところも「人がいいところ」

 

ここでいう、

いいとは何か?

みたいなことを哲学的に語ることはしないのですが、、、

 

俺の長所の「いい人なところ」は

「隣のことを幸せにしようと最大限の努力をすること。」

「それが好きな人なら、そこに対して決しておろそかにはしないこと」

 

これは前回のブログ

 

根底にあるのは「怖い」

http://happyshine.hatenablog.com/entry/2019/02/07/155052

 

でも書いたけど、

基本的には1人になるのが本当に嫌で

ウサギみたいにな寂しがり屋だから

常日頃から人に感謝される行動をしないといけないと思ってる

みたいことなのですが、

これが押し付けにならないように

レストランと同じだと思って

一緒にいる人が最高に楽しんでもらえるように。

そのための努力をすごくします。

 

まぁ、これ反応がわかりやすい人の場合はいいのですが…

だって笑ってくれるから。

こっちも笑いたくなる。

もんね。

 

一方、俺の短所の「いい人なところ」は

「めっちゃくっちゃ気を使うことろ。」

少しでも道間違えるとすぐ謝る

少しでも完璧じゃないとすぐ謝る。

いい人というか、もはやただの気を使いすぎるやつ。

用は人を悲しませるのが本当に嫌い。

こんな俺とあるんだから、

バカで楽しい俺といるんだから

幸せになれよって。

そーゆー、少し自分のレベルを相手に求めてしまうところも

日々日々俺の悪いところだなと思ってしまいます。

 

それでも、

根底にあるのは同じで

 

その行動で相手を悲しめてしまうのではないか

 

と日々日々考えてしまうところなんだけど。

 

 

これは前回も少し触れたけど

浪江に対してもそう。

 

 

俺が浪江にコミットできる理由って

「浪江がなくなってしまうのが怖いから。」

 

だから、なくならないように

俺がどうにか復活させていきたい

 

そう思うから。

だから、俺は浪江のために

筋が通ってるように見えるかもしれないけど、

側からすると。

 

そうではなくて、

全て根底にあるのは

なくなるのが怖いから。

 

だからいい人を目指して、

浪江もいい街にするのに頑張って

でもそれが時には

いい人すぎて疲れさせてしまう

もしくは、

相手に気を使わせるぐらい完璧になっちゃう

 

たまにあるポンコツ

それが大事なのかもしれないし

 

狙うわけじゃないけど、

俺はもう少し、

いやもちろん自由に生きてるけど

もう少しポンコツに生きてもいいのかな。

 

頑張るのを少しやめて、

頭悪いことしてみるべきなのかな。

 

それが

人と違ったこと。

ビジネスにおいては、

珍しがられることができる

 

一つの要因になるんじゃないかな。

 

 

「若者が働きたい福島をつくる」

 

いい人だけじゃなくて、少しのポンコツさを併せ持って人。

 

そんな人に魅力を感じるのかな

人って。

だから、人に会いにくるのかな。

わざわざ。

 

少なくとも俺は

完璧より少しポンコツが好きだな。

 

 

いい人すぎない

 

俺の目標や。